15世紀半ばのグーテンベルクによる初めての活版印刷以降、1500年*までに印刷された最初期の活版印刷による本は「インキュナブラ」と呼ばれ、書誌学上16世紀以降の印刷本と区別されています。
*1500年という区切りは便宜上のものであり、それ以前と以降で本の印刷形態が大きく変わるわけではありません。
活版印刷術は、15世紀末までにはヨーロッパ全域に広がっていきましたが、19世紀初頭に動力印刷機による書物の大量生産が行われるようになるまで、この手引き印刷機を使った手作業による印刷は脈々と続けられてきました。
講演では、それまで書写によるものであった書物の生産形態を決定的に変えた活版印刷術の、草創期である第1世紀に焦点を当て、どのような本が印刷されたのか、その背景と、活字の変遷、造本についてなど、あらゆる要素が凝縮されているインキュナブラについて分かりやすく解剖して解説していただきます。
日本ではあまり馴染みがない西洋書誌学の第一線の研究者による貴重な講演です。
シェーデル「ニュールンベルグ年代記」ラテン語版初版, アントン・コーベルガー印行, Nuremberg, 1493
モリサワ「たて組みヨコ組み」第49号1997
Lactantius, Subiaco 1465
Lactantius, Subiaco 1465 (アップ)
*「ラクタンティウス」 C.シュヴァインハイムとA.パナツルによる印刷。1465年、ローマ近郊のスビアコにあるベネディクト会修道院サンタ・スコラスティカで印刷されたものであるが、たった今刷りあげられたかのような新鮮なものである。初期の古風なローマン体が使われている。彼らはフストとシェーファーの印刷所で技術を習得したドイツ人で、ドイツからイタリアへと印刷術を伝えた。
サンスコラスティカ修道院
アルド・マヌーツィオ印刷工房跡地につけられているプラーク
「MANVICIA・GENS・ERVDITOR・NEM・IGNOTA・HOC・LOCI・ARTE・TIPOGRAPHICA・EXCELLVIT.」
―学識者として知らぬ者なきマヌキア(マニーツィオ)一族はこの地で印刷術により卓越していた―
印刷地跡(背面) 2010年撮影 サン・ポーロ地区, ベネツィア